てふこよもやま

俳句を詠んでいる松本てふこが書いています

女性俳人に関する他愛もない落書き①/清子、多佳子、久女

先日、ある結社のお招きで津田清子について発表してきました。学生の頃に『証言•昭和の俳句』(おもしろいです!おすすめ!)で彼女のインタビューを読んで、句も生き方も潔くて素敵!と思っていたのですが、なかなかその後深く読み込む機会がなかったんです。好きなこと発表していいですよって言われたのであ、じゃあ清子やってみようかな、と。腰をすえて作品を読めたり書かれた論を探してどのように評価されていたのかを知れたりできたのですごく実になりました。時々エーッ何だコレ、っていう句も飛び出すんですがどの句にも、ごまかしとか大嫌いなんだろうなあって視点が柱となっているところが彼女の句の素敵なところだと私は思います。

好きな句は初期から近作まで沢山あるのですが、第一句集『礼拝』からいくつか抽きます。

 虹二重神も恋愛したまへり        清子

 紫陽花剪るなほ美しきものあらば剪る

 礼拝に落葉踏む音遅れて着く

 自由で少し不安で灼けし砂丘行く

あ、この句は大島弓子の『綿の国星』に出てたらしいです。七、八年前に読んだのに全然覚えてないです…。

 真処女や西瓜を喰めば鋼の香       清子

さて、清子のお師匠さんは山口誓子と橋本多佳子なんですが、最初に師事したというか俳句を始めるきっかけになったのは多佳子で(多佳子が指導に悩んで誓子にも見てもらうように言ったようです)、『礼拝』の跋文も書いています。

その中に、こんな一節があります。

 こゝに書くのはすこし筋ちがひかもしれないが、私は自分の句作第一歩に杉田久女がゐたことを幸福だと思つてゐる。久女は私に俳句の怖るべきことを 教へ、それを私に身を以つて示した。私もそれを清子さんにつたへようとした。それは久女への恩返しであつたのである。さいはひにして清子さんはそれを理解し、一途に俳句に打込んだ。

多佳子は大正十一年、小倉在住だった頃、自邸で開かれた虚子を囲む句会で俳句に興味を持ち、そこで既に「ホトトギス」で頭角を現していた杉田久女と出会いました。二十三歳だった多佳子は夫に言われて八つ年上の久女に俳句や絵を習うようになりました。東京に生まれ育ち、友人もほとんどいなかった九州の地に移り住んだ寂しさが久女の存在で紛れたことが伺える文章を多佳子は残していますが、当時の多佳子にとって俳句はたくさんやっているお稽古事のひとつ。お弁当持参で(!)長時間にわたり熱心に教えてくれる久女をやがて多佳子の夫が疎んじるようになりもう来なくていいですということになった、という噂が残っています。多佳子が大阪に引っ越したこともあり疎遠になってしまった二人ですが、昭和四年、多佳子がその後師事することになる山口誓子と「ホトトギス」の大会で出会った時に久女は一緒にいたんだそうです。

久女はその後、昭和十一年に「ホトトギス」の同人を除名され、句集を編む夢も閉ざされ戦後の混乱の中で亡くなりました。一方多佳子は、久女が同人を除名された翌年に夫を亡くします。

多佳子が俳句を始めたのは夫の存在あってこそでしたが、同時に俳句に没頭しすぎなかったのも夫がいたからこそ。戦時中こそ疎開などで俳句への情熱が薄れた多佳子でしたが、戦後の農地改革による厳しい生活の中でもくじけず奈良の日吉館で西東三鬼や平畑静塔と句会を行い、昭和二十三年の誓子主宰による「天狼」の創刊にも大きく関与することになります。清子との出会いも同年です。

久女の没後八年の昭和二十九年、多佳子は清子らと九州の吟行に出かけます。長崎での二人の句を抽きます。清子の句は『礼拝』で、多佳子の句は彼女の第四句集『海彦』で読めます。

  磔像のうしろの薔薇を爪はじく      清子

  懺悔して白きサンダル穿きて去る

  汗しづか少年聖歌隊匂へり       多佳子

  石塊として梅雨ぬるる天使と獣  

長崎や阿蘇を一緒にめぐった後、多佳子は清子と別れて久女の終焉の地である太宰府を訪ね、以下のような句を作りました。

  万緑やわが額にある鉄格子       多佳子

  つぎつぎに菜殻火燃ゆる久女のため  

戦後の食糧事情などもあり、あまりにもあっけない死を迎えてしまった久女。多佳子はきっとこの時、初めて久女の死を生々しく実感し、自分の中に久女の教えが今も息づいていることに気付いたのではと思います。先ほど抽きました『礼拝』の跋文が書かれたのはこの吟行の五年後でした。

久女から格調や風潮、言い換えると「女ごころ」を受け継いだと謳われた多佳子でしたが、その死によって「女ごころの系譜は絶えた」とも言われました。それに対し、清子は「たしかに一つの系譜は絶えたかも知れない。しかしこの世の中に 女が生存する限り 女ごころは絶えない。」と書いています。清子の句のことも、久女の句のことも、もう少し(少しでもないかも)色々書きたいのですが、ひとまず今日はこの辺で。

また書ける時に書きます。

※漢字は新仮名に直しました

参考文献

  • 花神コレクション 津田清子』津田清子 花神社 平成五年
  • 『自註現代俳句シリーズ 津田清子集』津田清子 俳人協会 昭和五十七年
  • 津田清子、古沢太穂、沢木欣一、佐藤鬼房、中村苑子、深見けん二、三橋敏雄、黒田杏子『証言・昭和の俳句 下』 角川書店 平成十四年
  • 坂本宮尾『杉田久女 美と格調の俳人』 角川書店 平成二十年
  • 橋本多佳子『橋本多佳子句集』 角川文庫 昭和三十五年
  • 山口誓子「序」、『命終』橋本多佳子 昭和四十年
  • 津田清子「胡桃掌に」、「天狼」昭和三十八年八月号
  • 津田清子「命終の系譜ー女ごころー」、「天狼」昭和四十一年五月号